写真でつなぐ HISTORY

三菱マテリアルグループの創業は、1871(明治4)年。
明治維新に始まる近代日本と歩みを同じにしてきた
私たちのルーツから、今日に至るあらゆる取り組みを写真とともにご紹介します。

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三菱の誕生

1870(明治3)年、土佐藩の有力者らが海運会社九十九(つくも)商会を設立し、岩崎彌太郎に経営・監督を一任しました。「三菱」の誕生です。

写真:岩崎彌太郎(写真提供:三菱史料館)

三菱の発展と三綱領

「三菱」は、三菱マテリアルの源流となった鉱業以外にも様々な分野に進出し、多くの企業を設立しました。
今日でもこれら各社に共通するシンボルが三菱マークであり、共通して抱く理念が「所期奉公(期するところは社会への貢献)、処事光明(フェアープレイに徹する)、立業貿易(グローバルな視野で)」から成る「三綱領」です。

写真:三綱領(写真提供:三菱史料館)

炭砿・鉱山業への進出

1871(明治4)年、三菱は紀州新宮藩(和歌山県)の萬歳(ばんぜ)、音河(おとかわ)炭鉱を租借し、石炭鉱業に進出しました。これが三菱マテリアルの始まりです。
さらに1873(明治6)年には吉岡鉱山を買収し、金属鉱業にも進出しました。吉岡鉱山は、のちに日本三大銅山に数えられます。

写真:明治時代の三菱炭坑事務所(後の長崎支店、通称炭坑社)(写真提供:三菱史料館)

資源大国ニッポンをめぐる旅

よく「日本は資源のない国だ」といわれます。しかし、かつては日本にも多くの鉱山・炭鉱がありました。
尾去沢鉱山(708年開山)や、生野銀山(802年開山)や、佐渡金山(1601年開山)など、多くの鉱山が長らく日本を支えていたのです。今でも、これらの鉱山史跡を見学することができます。

写真:三菱が稼行した主要な鉱山・炭鉱位置図

社宅街文化と軍艦島

都市から遠い鉱山・炭鉱で従業員の生活基盤を作るため、社宅や購買所はもちろんのこと、病院、理容室、劇場、神社、果ては映画館に至るまで様々な施設が会社の手で作られ、活気ある社宅街が形成されました。
中でも「軍艦島」の名で知られ世界遺産の構成資産にもなっている端島炭坑では、1916年に日本初の鉄筋コンクリート造7階建てアパートが建てられています。

写真:軍艦島の暮らし

製錬業

1896(明治29)年、払下げにより官営大阪製錬所を入手。これにより、電気精銅(鉱石を高温で熔解して作られる「粗銅」を電気分解して純銅をつくること)及び金銀製錬の能力を獲得しました。また、大阪製錬所では1905(明治38)年に電気銅を型銅品に鋳造して市販を開始し、銅加工事業の端緒となりました。
さらに1917(大正6)年、直島製錬所を設立。それまで各鉱山で小規模に行っていた粗銅製造を、中央製錬所で行えるようになりました。

写真:払下げ直後の大阪製錬所

研究所の創設

1917年、海外の技術導入は熱心に行っても、自ら研究所を設立して研究者を養成することを顧みない事業家が多い日本の現状を憂いた岩崎小彌太(三菱の第4代社長)が、品川に日本初の民間研究機関「鉱業研究所」を設置しました。現在に至るまで様々な先進的開発を行い、多くの事業を生み出しています。

写真:創業直後の鉱業研究所

「三菱鉱業」以外の様々なルーツ

現在の三菱マテリアルには、合併や事業の譲り受けによって仲間入りした事業や工場も多数あります。
戦前期には、明石製作所(1911年の株式会社神戸製鋼所のドリル生産開始がルーツ)、九州工場苅田地区(豊国セメント株式会社苅田工場として1920年創業)、若松製作所(第一産業株式会社の亜鉛圧延事業として1938年創業)、三宝製作所(三宝伸銅工業株式会社として1935年創業)などが創業しました。

写真:豊国セメント苅田工場

三菱鉱業の独立

三菱が事業部を独立させ分権化をすすめることの一環として、1918(大正7)年に三菱合資会社鉱業部が独立し、三菱鉱業株式会社が設立されました。

写真:三菱鉱業最初の株券

金属加工業への進出

鉱業研究所では1920年代からタングステンの研究を始め、金属加工分野に進出しました。1942年には東京金属工業所大井工場(現:筑波製作所)を、1944年には新潟金属工業所を設立し、金属加工を本格化させました。

写真:新潟金属工業所

終戦と分割

終戦に伴い、三菱鉱業は在外資産を喪失しました。さらに、過度経済力集中排除法により三菱鉱業(石炭部門)と太平鉱業(金属部門。のちに三菱金属鉱業、三菱金属と社名変更)に分割され、1990年の再合併に至るまで別々の道を歩むことになりました。

写真:太平鉱業の看板に架け替えられた直島製錬所

労働運動と安人昌業

炭鉱・鉱山事業は、歴史的に労働争議の多い事業でもありました。
三菱鉱業は戦前より「安人昌業(人を安んじ、業を昌(さか)んならしめる)」を理念とし、福祉行事や社会保障を担う従業員団体を整備するとともに、福利厚生の拡充に努めてきました。

写真:行事の写真

炭鉱・鉱山の
相次ぐ閉山と業態転換

日本の産業構造の変化とともに、国内の炭鉱・鉱山は相次いで閉山していきました。
三菱鉱業、三菱金属鉱業は、新たな事業に転換していくことにより、この危機を乗り越えていきました。

写真:高島炭鉱における古賀山・崎戸炭鉱の配置転換者受け入れ

鉱山・炭鉱に関わる森林

鉱山・炭鉱事業では坑道を支える坑木及び燃料として大量の木材を必要としました。そのため、現在でも三菱マテリアルの森林保有量は国内有数の規模を誇ります。
水源涵養機能(水を貯めておく機能)など、これらの森林のもつ公益的機能は年間403億円※にものぼります。
※当社試算

写真:美唄山林と炭鉱跡地

今なお残る鉱業の伝統

国内の主要な炭鉱・鉱山は閉山していきましたが、三菱マテリアルの鉱業の伝統は現在も受け継がれています。当社は海外鉱山事業に参画し、また、資源事業で培った技術は資源探査、水力発電、地熱発電などに活かされ、今日の事業の基盤となっています。

写真:Mantoverde鉱山

新たな柱、セメント事業
(三菱鉱業セメント)

三菱鉱業は、石炭事業が好況のうちから事業の多角化をはかり、セメント製造およびその原料となる石灰石鉱山事業に進出しました。
1954年には子会社の三菱セメント株式会社を発足させ、やがてセメントは石炭に代わる柱となっていきます。1973年には三菱鉱業、三菱セメント、豊国セメントの3社が合併し三菱鉱業セメントが誕生しました。

写真:三菱セメント品川サービスステーション

三菱鉱業の多角化
(三菱鉱業セメント)

三菱鉱業の新たな柱となる事業を探す多角化の取り組みは、製塩、鉄鉱、建設、原油開発、石油販売、建材、化学、地質コンサルタントなど多岐にわたりました。
また、三菱鉱業セメントとなってからも多角化は続き、セメント製品やのちの電子材料分野に繋がるセラミックスといった分野に進出していきます。

写真:崎戸海水工場(現ダイヤソルト株式会社)

海外鉱製錬事業への転換
(三菱金属)

三菱金属鉱業では、国内の銅鉱山の閉山に伴い、海外産の鉱石を国内の製錬所で製錬するビジネスモデルに転換していきました。
そのため海外鉱山の開発や、国内の製錬所の技術革新・大規模化、新製錬所の建設が進められ、画期的な銅製錬技術「三菱連続製銅法」も開発されました。

写真:直島製錬所新反射炉への火入れと聖火リレー

金属加工分野の拡充

三菱金属鉱業の多角化では、金属加工の分野が拡充されていきました。
銅加工分野では、1952年には銅の荒引線製造を開始し、さらに1971年には荒引線の連続製造技術「SCR方式」を導入しました。
また、海外から技術を導入して超硬合金製工具の生産を開始したほか、アルミ加工の分野にも進出しました。三菱鉱業のアルミ事業は戦前から始まっていましたが、終戦で台湾の精錬工場を失ったことなどから一時撤退していました。
三菱金属鉱業が多角化をすすめる中、1962年に三菱レイノルズアルミニウム株式会社を設立してアルミニウム圧延事業を再開しました。また、アルミ缶事業にも進出し、1973年には富士小山工場でアルミ缶の初荷式が行われました。

写真:超硬工具を製造する東京製作所(現筑波製作所)

新エネルギー分野への進出
(三菱金属)

三菱金属鉱業の多角化は、エネルギー分野にも及びました。 1954年に「ウラン鉱の選鉱」に関する研究を政府から受託したことをきっかけに原子力分野に進出し、1971年には三菱原子燃料株式会社を三菱重工業と合弁で設立しました。
また、秋田製錬所の電力費用負担軽減のため、従来尾去沢鉱山で行われていた水力発電の強化や地熱発電の事業化にも着手し、1953年に小又川第4発電所が竣工。1974年には大沼地熱発電所の開所式が行われました。

写真:大沼地熱発電所

電子材料・シリコン分野への
進出(三菱金属)

電子材料の商用研究は、1950年頃から進められていました。1960年代前半に大阪製錬所で電子材料の生産を開始。これが後の三田工場となります。
また、1959年には日本電子金属株式会社(シリコン製造部門は現株式会社SUMCO、その他部門は現三菱マテリアル電子化成株式会社)、1967年には高純度シリコン株式会社(現四日市工場)が設立されました。
1979年には本社に電子材料部を新設し、電子材料事業は三菱金属の柱の一つとなっていきました。

写真:高純度シリコン(現四日市工場)

三菱マテリアル発足

1990年、三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、三菱マテリアルが発足しました。
懸案であった炭鉱・鉱山の整理が完了したことで、両社にとっては悲願ともいえる合併が実現。単なる戦前の三菱鉱業の復活ではなく、両社の事業間でシナジーを発揮し、日本を代表する総合素材メーカーとなりました。

写真:三菱マテリアル発足記念式典

東北開発

三菱マテリアル発足間もない1991年、東北開発株式会社と合併し、岩手工場、青森工場が仲間入りしました。
東北開発は1936年に東北地方の経済振興を図るため制定された特別法「東北興業株式会社法」により1936年に設立された企業で、1958年に岩手工場、1979年に青森工場を設置し、セメントの製造を行っていました。

写真:合併直後の青森工場

更なるグローバル化

三菱マテリアル発足以降も、三菱マテリアルグループは様々な分野で世界中に進出していきました。今やグループ従業員の4割が海外従業員、海外売上高比率は約45%となっています。

写真:米国三菱セメント社の皆さん

リサイクル事業の進展

環境問題が社会の重要課題となる中、原燃料の代替品として廃棄物などを活用し、ゼロ・エミッション(廃棄物ゼロ生産)を達成できる銅製錬やセメントをもつ三菱マテリアルの業態に注目が集まります。リサイクル事業が三菱マテリアルの中核事業の一つとなっていきました。

写真:銅製錬の原料となるE-Scrap(廃電子基板)

金価格の急騰

三菱マテリアルは草創期から、主に銅製錬の副産物などとして金を製造しており、日本でもトップクラスの金製造量を誇ります。
「有事の金」といわれるように金は安全資産として注目されていますが、特に2000年代以降、急激に金価格は高騰していきました。
2005年に直島製錬所で鋳造された世界最大の250kg金塊の価値は、当時(2005年6月平均)の税抜小売価格では3億8643万円でしたが、2020年通年での平均価格では5倍近い17億6568万円にもなりました。

写真:純金カツオ像

未来へ向かって

三菱マテリアルグループは、企業理念として「人と社会と地球のために」を掲げ、「社会的価値と経済的価値の両立を図る」という基本的な考え方の下

1. 銅を中心とした非鉄金属素材及び付加価値の高い機能材料・製品の提供を通じて豊かな社会の構築に貢献する。
2. リサイクル可能な製品の提供、高度なリサイクル技術による廃棄物の再資源化を通じて循環型社会の構築に貢献する。
3. 地熱等再生可能エネルギーの開発・利用促進、環境負荷低減を考慮したものづくりの徹底により脱炭素社会の構築に貢献する。

ことを2030年から2050年にかけての目指す姿として、事業活動を通じた社会的課題の解決を進めていきます。