堺工場の沿革
当工場の歴史をご紹介いたします。

堺工場の発祥は1891年(明治24年)に我が国で最初に電気分銅事業を工場化するために設立された宮内省御料局生野支庁附属大阪製煉所にあります。
その後、政府からの払い下げにより大阪造幣局に隣接した旧三菱合資会社の一部門となり、今日の堺工場につながっています。

1906年当時の大阪製錬所

約100年におよぶ歴史の中で、大阪製煉所は数々の変革を遂げてきました。 1950年にはビレット及びケーク(型銅)、1952年には荒引線の製造をスタートしました。

1950年当時の棹銅の鋳造 1952年当時の荒引線の製造

1955年当時の大阪製煉所

1971年、大阪製錬所は日本で始めてSCR式銅荒引線製造システムを導入しました。また、1976年には米ゼネラルエレクトリック社により開発されたDIPフォーミング式銅荒引線製造システムを導入しました。
急速に進む都市開発により、1980年代後半に大阪製錬所は大阪南部の
堺市築港新町に位置する臨海工業地帯への移転を決定しました。
その後、大阪製練所の跡地には大阪アメニティーパーク(OAP)や帝国ホテル等が建てられました。
  1989年当時の大阪製錬所
※写真左下に旧大阪造幣局を見ることができます

SCR設備やビレット・ケークの完全連続鋳造機をはじめ、無酸素銅連続溶解・鋳造設備の新設備を導入し、堺において操業を開始致しました。

今日SCR工場では月産14000T、型銅工場では月産12000Tの能力を有し、このうち無酸素銅及び無酸素銅ベースの銅合金の生産能力は月産約5000Tに達しています。


現在の堺工場