金の資料館

アラン・グリーンスパン

第13代米国FRB議長。レーガン共和党政権下の1987年6月、議長に就任。2006年1月に退任(後任はベン・バーナンキ氏)。レーガン共和党政権−父ブッシュ共和党政権−クリントン民主党政権−ブッシュ共和党政権と、4つの政権18年半の長きにわたって米国経済と金融システムを支え続けました。市場との対話を重視するとともに、政治経済有事に際しては大胆かつ俊敏な判断で危機を何度も克服してきたことから、「金融の神様」とも「マエストロ」とも呼ばれました。 ところでこの自他ともにドルの番人と認めるグリーンスパンには、金に関する注目すべき発言もいくつかあります。ひとつは、「金の問題は、ノスタルジアの問題ではなく、現実的な課題である」というもの。ひとつは、「金は究極の支払手段である。金は誰によっても受け入れられる。危機に際しても金ならいつでも受け入れられる」というもの。いずれも金融の神様グリーンスパンが金の重要性を示唆した発言として知られています。

アルキメデスと金の王冠

アルキメデスといえば、紀元前三世紀、古代ギリシア時代に活躍した科学者として歴史に名を遺しています。シチリア島のシラクサに生まれ、当時学問の中心地であったエジプトのアレクサンドリアに留学して幾何学などを学び、その後帰郷し、自然法則の発見とその応用に生涯を捧げました。 数々の業績を遺し、当時から「シラクサのアルキメデス」としてその名を馳せていたようです。いまでこそよく知られている「テコの原理(重心の概念)」、「球体の表面積・体積の計算」「円周率の計算」「浮力の原理(比重の概念)」などは、彼が発見した科学法則でありアプローチです。現代数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞の記念メダルに、アルキメデスの横顔と球体が刻まれているのも頷けるというものです。 偉大な業績を遺した人につきものですが、彼にもさまざまな逸話が残っています。なかでも有名なのが、「金の王冠」に関するものでしょう。 ある時、シラクサの王ヘロンが、金の王冠を作ることを思い立ちました。金細工師を呼んで金塊を渡し、王冠は立派にでき上がりました。しかしその後、金細工師について芳しからぬ噂が広まりました。「混ぜ物をして王冠を作り、預かった金塊の一部を盗んで私腹を肥やしたそうだ」という噂です。金細工師の羽振りが急に良くなったためか、もともと良からぬ評判の持ち主だったのか、どちらかだったのでしょう。 そこで王は、アルキメデスを呼んで、王冠を傷つけることなく、混ぜ物がしてないかどうか調べるように命じました。さすがのアルキメデスも、どうしたものか考えあぐねていましたが、ある日、風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見た瞬間、王冠の純度を調べる方法がひらめいたそうです。 アルキメデスは、王が金細工師に渡したのと同じ重量の金塊を用意し、金塊と王冠のそれぞれを、水を張った容器に入れました。すると、王冠を入れたときの方が、金塊を入れたときよりも多くの水があふれたそうです。素材も重量も同じであれば、体積も同じはずだということから、王冠には混ぜ物がしてあると結論したのです。アルキメデスはこの時、浮力の原理と同時に、比重の概念も発見していたことになります。天才のヒラメキとはこのようなものなのでしょうか。 それにしても、金細工師にそれほどの危険を冒させるほど金の価値が認められていたこと、さらに当時すでに金属製錬の技術やノウハウが相当に進んでいたことを、この逸話は示していて興味がつきませんね。

黄金の国ジパング

その昔、我が国はヨーロッパにおいて「黄金の国ジパング」と呼ばれ、あたかもユートピアでもあるかのごとく憧れの対象になったことがあったようです。そのきっかけになったのが、イタリアの旅行家マルコ・ポーロ(1254〜1324)が著したとされる「世界の記述(東方見聞録)」でした。 マルコ・ポーロは、東方のさまざまな土地を旅行したようです。なかでも元(モンゴル帝国)には10数年滞在し、かのフビライ・ハンに仕えていたとも言います。その長い滞在中に、12世紀初頭に平泉に建立された「中尊寺の金色堂」に関する伝聞を耳にしたようです。そして彼は、その見聞録に「その国の宮殿の屋根はすべて黄金でできている」とか、「床には分厚い黄金が敷かれている」とか、「黒胡椒も白胡椒もきわめて豊富である」などと、たいそう大袈裟に記すところとなります。 ところで、マルコ・ポーロの見聞録にはゴースト・ライターがいた可能性を示唆する説があります。それはそれで興味ある話です。しかし、そのような詮索をよそに、当時のヨーロッパにおいてマルコ・ポーロの見聞録がある種の熱狂をもって迎えられた事実に変わりはありません。当時のヨーロッパでは金も香辛料も1、2を争うほどの貴重品でしたし、なにより当時は自由と解放を求めるルネサンス開花期に相当します。「黄金の国ジパング」が、東方の海に浮ぶユートピアとして渇望されたとして不思議ではない状況にあったのですね。 それにしてもこの見聞録は、やがて勃興する大航海ブーム(15〜16世紀)の呼び水の役割まで果たすことになります。ユートピア(=フロンティア)を求める情熱、そして金を求める情熱には、歴史を動かすだけの力があるのですね。

ギザ縁

硬貨の外縁に施されているギザギザのこと。日本円の硬貨では、鋳造年代によって異なりますが、現在は50円玉、100円玉、500円玉に、このギザギザが偽造防止対策などのために付けられているようです。しかしその由来を辿ると、このギザ縁は、その昔、金貨や銀貨といった貴金属貨幣が流通していた頃、外縁を削り取って私服を肥やす不届きな輩が横行したことがあったらしく、それを防ぐために考案されたものであるようです。 ちなみに2002年の春に、FIFAワールドカップの日韓開催を記念して金貨、銀貨、ニッケル黄銅貨が発行されましたが、これらの硬貨の外縁には斜めにギザが施されています。

金字塔

金字塔

「きんじとう」と読みます。そもそも「金字」とは、金泥で書いた文字、あるいは金色にいろどった文字のことを指す言葉ですが、「金字塔」となると全く別の意味になります。金の字形をした塔、すなわちエジプトの砂漠に点在するあの巨大なピラミッドのことを表わしています。「金字塔を打ち立てる」という風に使い、なかなか成し遂げられるものではない「不滅の業績」の比喩として用いられるのが一般的です。それにしてもこの「金字塔」には、巨大なピラミッドがたやすく建設できるものではないこと、金が不滅の金属であることの、両方の意味を含んでいる絶妙なネーミングではありませんか。

金鯱

金鯱

名古屋城の天守閣に金の鯱が載っています。「きんしゃち」とも「きんのしゃちほこ」とも呼ばれて親しまれていますが、これがじつは雌雄一対で、天守閣北側の金鯱が雄、南側の金鯱が雌であることはあまり知られていません。雄の方は、高さ2.621m、重さ1,272kg、ウロコの枚数112枚。雌の方は、高さ2.579m、重さ1,215kg、ウロコの枚数126枚。重さもウロコの枚数も雌雄で異なっています。 いうまでもなく金メッキなどではなく、表面に金板が張り付けられた構造です。創建時の金鯱には、じつに慶長大判1,940枚分(大判1枚165g・品位68%)の金が使われたと言います。純金量に換算すると220kg程度に相当します。ただしそののち幾度か改修されています。昭和20年には戦火で消失するという憂き目にも会っています。 現存する金鯱は、昭和34年に大阪造幣局の協力により再建されたもの。こちらは18金(純度75%)の金板が雌雄合わせて88kg(純金量換算で66kg)使われています。ところで、棟飾りとしての鯱には、威厳や美観の演出の他に、火除けの意味があったようです。そのためか天守閣に鯱を載せている城は全国にあります。金鯱についても、もともと安土城に始まり、大阪城、伏見城、駿府城などの天守閣にも載っていたと言います。しかしいずれも火災や破壊にあって消失し、現在見ることができるのは名古屋城の金鯱だけというわけです。これからも永遠に輝き続けてもらいたいものです。

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金と年越しそば

我が国には、古くから大みそかに「そば」を食べる習慣があります。年越しそばと呼んで、いまでも多くの家庭で食べます。なぜ大みそかにそばを食べるのか、その由来には諸説あります。一説によれば、そばは切れやすいことから、旧年の苦労や厄災とも縁が切れるという発想から大みそかに食べるようになったといいます。ところがまったく反対に、そばは細く長くつながって縁起が良いから大みそかに食べるようになったという説もあります。長寿や無病息災につながるという発想でしょう。もうひとつ有力な説があります。その昔、金銀細工職人たちが、金箔を打つ時や細工中に飛び散った金粉を集める時に、そば粉を使ったことから、来る年にお金と縁が深くなるように大みそかに食べるようになったという説です。年越しそばの由来や呼び名は、この他にもいくつかあるようです。いずれも真偽のほどは不明ですが、古来より、そばも金も縁起物として捉えられている点は共通しているようです。新しい年が良い年でありますようにという庶民の願いが込められているのですね。

金の発見

金が発見されたのは、じつに古く、今から7000年前とも8000年前とも見られています。当時はもちろん金鉱石から金を取り出す(精製する)技術などあろうはずもなく、砂金として、あるいは砂金が発見された川の上流にある山などから、露頭の自然金(ナゲット)の形で発見されたものと思われます。 金が精製あるいは加工されたカタチで歴史に登場するのは、古代エジプト王朝時代(BC4000〜BC332年)です。古代エジプト王朝時代のファラオ(王)たちは、太陽を主神とし、太陽のシンボルとして金を崇拝していましたから、金の採掘、精製、加工に情熱を燃やしたであろうことは想像に難くありません。そしてやがて金は、「富と権力の象徴」としての意味も合わせ持つようになったのではないかと思われます。ファラオたちは、死に際しても金を手放すことはありませんでした。死後の世界を信じた彼らは、金が何ものにも侵されない性質をもつことから、みずからの不変不滅を祈って黄金のマスクをつけ、黄金の棺に入り、黄金の装身具に囲まれて永遠の旅に出たのです。

金のリサイクル

金の用途は、金地金や金貨などの投資用ジャンル、指輪やネックレスといった宝飾用ジャンル、ボンディングワイア(金線)に代表されるエレクトロニクス用ジャンル、さらに歯科治療用ジャンル、その他装飾用ジャンルなど多岐に渡ります。金はこのように「マネーとしての顔」と「商品としての顔」を持つ希有な物質であるところに大きな特徴があります。ところで金は、きわめて希少な物質であることから、一度投資用マネーあるいは各種商品として市場に出回っても、金価格が高騰すると売り戻しが起きやすくなりますし、商品としての寿命を終えるとスクラップとして廃棄されたりします。しかし売り戻された金も廃棄された商品に含まれる金も、金である以上は自然環境下において決して錆びることも腐ることもありませんから、リサイクル利用されます。つまり再び高品位の金に精製し直されて市場に出回るのです。その意味で金はリサイクルの王様といって良いかもしれません。 ちなみにリサイクルされる金のことを、金市場では「中古金スクラップ」と呼び、その量は金価格が上昇トレンドにある場合に増加する傾向にあります。ちなみに2004年が約900トン、それが2008年には約1200トンになっています。

サンタクロースと金貨

毎年12月になると、繁華街の広場や商業ビルの玄関などに大きなツリーが飾られ、いやがうえにもクリスマス気分が盛り上がります。イブの日には街のいたるところに赤い服を着たサンタクロースが登場します。ところで現在のクリスマスには欠かせないサンタクロースですが、その起源にはいくつかの説あります。なかでも有名なのは聖ニコラウス伝説でしょうか。言い伝えによれば、ある時、慈悲深い聖ニコラウスが、三人の娘たちの嫁入り持参金を作れなくて困っている父親の存在を知って、金貨の入った袋をその家の煙突から投げ入れたそうです。それがたまたま洗濯物として干してあった靴下のなかに入り、三人の娘たちは、めでたく嫁入りできたということです。つまり、この聖ニコラウス(セントニコラウス)伝説が、さまざまな習俗とも溶け合って物語として成長し、さらにイベント好きの米国にわたってから、いつしか赤い服を着たサンタクロースとして定着したようです。真偽のほどはさておき、イブのプレゼントが金貨からお菓子や玩具やアクセサリーに変わってはいるものの、サンタクロースは愛や喜びを届けてくれる存在であることには違いありません。それにしてもサンタさん、大人たちには、やはり金貨のプレゼントをお願いしたいものですね。

試金石

試金石

金の品位すなわち純度を判定するための石のことです。玄武岩などの黒色で緻密な石英質の石を切って砥石のようにしたもので、ルーツは古代エジプトまでさかのぼることができます。この黒色の石に、品位を調べたいサンプル金と、判定基準となる手札金(手本金)をこすりつけて光沢や色調を比較。さらにその条痕に濃硝酸をかけて変色の様子を比較して、サンプル金の品位を判定します。非科学的な判定法のように思えますが、サンプル金の品位が18金程度であるのか16金程度であるのか、あるいは14金程度であるのかといった判定が可能で、現在も装飾品の品位鑑定などに使用されているようです。 ところでこの「金の品位を試す」という役割は、おそらく「真贋を試す」という役割も担ったことから、試金石という言葉は転じて「人や物の真価を試す材料や方法」を意味するようになったと思われます。 蛇足ながら試金石は英語で"Touch Stone"と言います。"Touch"には「触れる」という意味がありますが、「触診する」とか「試金石で試す」という意味もあるのです。なるほど物事の真価は、実際に手で触れることではじめて判別できるものなのかも知れません。

世界最古の金貨

日本銀行金融研究所 貨幣博物館所蔵

世界で初めて金貨が作られたのは、紀元前7世紀〜6世紀頃と言われています。当時の小アジア(現在のトルコ西部)に存在していたリディア王国で発行された金貨が最初であると言われています。しかし一方で異説もあり、それによれば世界最古の金貨は紀元前11世紀までさかのぼると言います。紀元前11世紀当時の中国で公式に金貨が発行された形跡があるらしいのです。どちらの説が正しいのか判然としませんが、いずれにしても気の遠くなるほど昔であることに違いはありません。 ところで写真に見るのが、リディア金貨です。リディア王の紋章であるライオンの頭部が打刻されています。通貨史での正式名称はエレクトロン貨。リディア金貨と言わずエレクトロン貨と言うのは、古代ギリシャ人がエレクトロン貨と呼んで珍重したことに由来するようです。金貨の素材に使われている天然の金銀合金の輝きや色合いが、エレクトロンすなわち琥珀に似ていたためだと言います。ちなみに金の品位は30%から50%程度。重量単位は、スタテル(古代ギリシャの単位で1スタテルは14g〜17gに相当)。1スタテルから1/96スタテルまで8種類があったようです。

世界最大の金塊

世界最大の金塊

美しい瀬戸内海に抱かれた太陽の島、香川県の直島に、三菱マテリアル直轄の銅・貴金属製錬所があります。この環太平洋最大級の金生産量を誇る直島製錬所で、2005年6月、250キロという超大型金塊が鋳造されました。 これまで、三菱マテリアルでは1995年に120キロ、2000年に200キロの超大型金塊の鋳造に成功し、「世界最大の金塊」としてギネス記録に認定されていました。しかし2004年10月に台湾政府によって鋳造された金塊(220キロ)に記録が更新されていたことから、あらためて250キロの金塊鋳造にトライして成功、ふたたび記録保持者となりました。 写真で見ると、なんの変哲もない台形の塊(純度99.99%の純金)ですが、サイズが大きくなればなるほど、鋳造、冷却、表面全体の仕上げなどに、長年培ってきた経験と技術の精度が求められるのです。 ちなみに、この世界最大の金塊は、三菱マテリアルの関係会社である、土肥マリン観光が経営する観光施設、「土肥金山」(静岡県伊豆市)にて2005年7月11日より一般に公開されています。

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武田の甲州金

日本の歴史上、金山開発がもっとも活発になったのは戦国時代だっただろうと言われています。政治体制が大きく変わる節目であった戦国時代において、諸国の大名にとっての重要課題は、政治力と軍事力の強化でした。そのために潤沢な資金が求められ、いきおい金山の開発が全国的に活発になったということでしょう。そうした戦国大名のなかで、いちはやく金銀に目を付け、金銀を有効に活用した人物として知られるのが武田信玄です。金山開発に積極的だったことはもちろん、「武田の甲州金」という名で知られる金貨を鋳造し、いわば富国強兵政策に役立てたのです。武田信玄という武将が、たんに戦上手というだけでなく、政治家としても抜きん出た才能を持っていた証しでしょう。 ところで武田信玄が進めた金山開発は、土木技術ノウハウの蓄積や進歩にも貢献したようです。かの有名な「信玄堤(しんげんづつみ)」はその成果のひとつに数えられています。ちなみに信玄のこうした活動を陰で支えたのは、のちに新潟の佐渡金山や伊豆の土肥金山でも多大な成果を残すことになる大久保長安だったと言われています。

ナゲット

ナゲットとは、辞書通りの意味としては、「塊り」あるいは「金塊」を指す言葉です。ところで金は、金鉱石あるいは銅鉱石に多く含まれています。多く含まれているとは言っても、高品位といわれる金鉱石1トンから数グラム程度しか採れないのが普通なのですが、ごく稀にほぼ純金に近い純度を持った「金の塊り」が発見されることがあります。この「天然の金の塊り」のことを、ナゲットと呼んだようです。 その昔、天然のナゲットは、1800年代にオーストラリアで数々発見されました。記録に残っているなかで最大のものは、純度90%以上、重量はおよそ71kg。それがどれほど感動的な発見だったか、「ザ・ウェルカム・ストレンジャー」なる名前を冠せられ、1989年までオーストラリア政府発行の金貨の裏面デザイン(※)にも使われていました。 そういえば「チキン・ナゲット」なる食べ物がありますが、この天然のナゲットは、ちょうどそんな形をイメージしていただければ良いでしょう。蛇足ですが、ナゲットは「貴重なもの」を意味することもあります。 ※オーストラリア政府発行の金貨の裏面デザインは、1990年から「カンガルー」に変わっています。

ナノテクと金

国際的に注目を浴びる加工技術分野に、ナノテクノロジー(10億分の1メートル級という超微細な加工技術)があります。ナノテクノロジーは21世紀に入って、基礎研究の段階から応用研究・利用の段階へ移行しつつあり、応用分野もバイオ、情報、環境など多岐にわたっています。 そうした応用利用の分野で将来が嘱望されているひとつに、金があります。金は通常空気に触れても酸化しないことで知られていますが、原子数が数十個というナノの状態でもやはり酸化することもなく、常温でも物質として安定していることから、ナノテクの情報分野での利用が有望視されています。さらに金はナノ粒子の状態で特異な化学的作用をも発現することも発見されており、常温で触媒として活用される可能性が高いとか。金はナノテクの世界で大きな活躍が期待されているとともに、環境にやさしい省エネルギー素材としても注目されています。

日本最初の金貨

わが国で最初に金貨がつくられたのは、8世紀中頃と言われています。聖武天皇崩御の後、藤原仲麻呂が恵美押勝(えみのおしかつ)の名を賜わると同時に、鋳銭の特権を得て政治の実権を握りました。この恵美押勝の命でつくられたのが、金銭の「開基勝宝」、銀銭の「太平元宝」、銅銭の「万年通宝」です。交換比率も定められた模様で、金銭1枚に対して銀銭10枚、銀銭1枚に対して銅銭10枚とされたようです。ただし8世紀当時のことゆえ、一般に金銭(開基勝宝)が必要とされるほど市場経済が発達していたとはもちろん考えられず、金銭の製造枚数については極めて少なかったようです。おそらくは富と権力のシンボルとしての役割を果たしていたに違いなく、おもに貴族間の贈答用に使われていたのであろうと考えられています。 ところで、この交換比率が何を根拠に定められたものか判然としませんが、18世紀の英国でニュートンが定めた金銀比価が1対15.21であったことを思うと、恵美押勝という人物はなかなか慧眼の持ち主であったと言えるのかも知れません。

ニュートンと金銀比価

ニュートンといえば、ご存知のように「万有引力を発見した物理学者」として世界にその名を知られています。子供たちには、「リンゴの話」でよく知られているかもしれません。ところで、彼にはもうひとつ意外な顔があるのをご存知でしょうか。 18世紀初頭、爆発的な経済発展を遂げつつある英国においては、「通貨の安定」が緊急課題だったようです。そこで1717年に英国の造幣局では、当時の貿易決済手段であった「金(金貨)」と「銀(銀貨)」の交換比率(いわゆる「金銀比価」)を、1対15.21に設定しました。これによって金価格は安定し、英国の経済発展の基礎が固まったと言われています。以来ほぼ200年にわたって、この金銀比価が用いられるところとなりました。 この注目すべき金銀比価を決めたのが、当時英国の造幣局長の職にあったニュートンだったのです。このニュートンの金銀比価は、金の優位体制をつくる契機となったことから、「金本位制確立の布石」になったとも言われています。ニュートンは、物理学のみならず通貨の歴史においても不朽の業績を残していたのですね。

ファラオと金

古代エジプトのファラオ(王)たちは、太陽を主神とし、太陽のシンボルとして金を崇めていました。彼らにとって金の輝きは、おそらく太陽の光そのものだったに違いありません。ファラオたちは、みずからの死に際して金銀財宝を王墓のなかに持ち込みました。さらに、みずからを太陽神に重ね合わせるかのように、黄金のマスクをつけ、黄金の棺に入り、黄金の装身具に包まれて永遠の旅に出ました。しかしそれは、彼らが死後の世界を信じていたからだけではなく、金がなにものにも侵されず永遠に輝き続ける不滅の物質であることを認識していたことの証しでもあります。ちなみにもっとも有名なファラオであるツタンカーメンの棺は、なんと1トンもあると言われています。

フォーティ・ナイナーズ

金が発見された場所や採掘地に向かって、大勢の人々が押し寄せる様をゴールド・ラッシュと言います。ゴールド・ラッシュは歴史的に見ると、18世紀初頭にブラジルで起きたのが最初であるようですが、19世紀にはアメリカやカナダで、20世紀にはインドネシア、フィリピン、パプア・ニューギニア、ベネズエラなどでも起きています。 それらの中で最も有名なものと言えば、1849年にカリフォルニアで起きたゴールド・ラッシュでしょう。ことの発端は1848年にカルフォルニアのサクラメント近郊にあった製材所で、ジェームズ・マーシャルという大工が放水路を点検した際に砂金の粒を発見。そのニュースが全米そして世界にまたたく間に広がって、1849年になるとアメリカ東部はもとより世界各地から一攫千金を夢みる金鉱探したちが殺到しました。またそこにビジネス・チャンスを見た商人や職人、ホテル業者や銀行家たちも大勢押し寄せ、カリフォルニアの人口は爆発的に増加したようです。こうしたことから、1849年に大挙してカリフォルニアに押し寄せた人々のことを「フォーティ・ナイナーズ(49年組)」と呼び慣わしています。 ちなみにサンフランシスコに本拠地を置くアメリカンフットボールの強豪チーム「サンフランシスコ・フォーティ・ナイナーズ」の名前も、ここに由来しています。

錬金術

錬金術の起源には諸説あります。紀元前の中国を起源とする説、古代エジプトに始まるという説、古代ギリシャ起源説、古代アラビア起源説等さまざまです。いずれにしても古代から中世にかけてアジアおよびヨーロッパの広域にまたがって見られ、それぞれの地域の宗教や哲学と深く結びついて固有の発展を遂げたようです。そのためか、「卑金属から貴金属をつくり出す技術」の追求が強調された地域もあれば、「不老不死の仙薬を調合する技術」の追求が強調された地域もあるようです。 一般に錬金術という言葉は、あまり芳しからぬイメージを持たれているようです。たしかに呪術的あるいは山師的な性格を持ち合わせていたようですが、一方で「物質の化学変化を対象とする一種の学問」としての性格も色濃く持っていました。錬金術の研究や実験を通して習得された技術や知識の蓄積が基礎となり、金属製錬技術の発展、医薬の開発、さらには近代化学の成立を促したと言われるゆえんです。 このように大きな役割を果たした錬金術も、とうの昔に歴史の表舞台からは消え去りました。しかしその精神は、現代の冶金学やバイオテクノロジーなど、さまざまな分野で受け継がれ生き続けています。 蛇足になりますが、ファンタジーの世界においては、その健在ぶりを大いに発揮しています。「ハリー・ポッターと賢者の石」に登場する「「賢者の石」とは、まさに中世ヨーロッパの錬金術師たちが最終的に追い求めた秘密の物質のこと。「賢者の石」は、あらゆる卑金属を貴金属に変える触媒であり、あらゆる病気を治す力を持つ物質であると信じられていたものなのです。

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